② そんなアイデアを、必要としている方へお届けする価値を見出す。愉しむ事に価値がある
③ “貴方の心に栄養補給を。 ” イベントに触れる全ての人に癒しを起こし、人生に花を咲かせます
愉価癒花(ユカユカ) の人生遍歴
1974年 6月 五人家族の長女として生まれる。
中学生時代に奉仕の道に目覚め、高校・大学と看護学科を選択。当時の最短コース(20歳)で正看護師の資格を取得後、大学病院で働き始める。病院勤務中は多くの患者さんの生死の現場に携わるも、あまりにもの激務にスピリチュアルの世界に目覚めるきっかけさえ無かった。
1997年 病院退職後、ワーキングホリデイで単身渡豪。
渡豪目的はオーストラリアの看護事情を肌で直接感じる為。ハンディキャップ施設等でのボランティア。
ボランティア研修終了後はナースアシスタントとして一人派遣事務所に登録し派遣される日々。
老人介護施設において身辺介護だけでなく、亡くなった方の扱い方についても国により大きな違いが有る事を知る。
渡豪直後から日本人ワーホリメーカーと一緒に過すことが少なかった為、逆に色々なトラブルに見舞われる。
火事・事故・スリ・・・etc..etc...様々な事が一年にたっぷり凝縮された渡豪生活だったが、この間に心身ともに鍛錬され、前向きに生きれば必ず助けが差し伸ばされること、そして楽観的にとらえられる価値観を学ぶ。
1998年 10月 帰国
1999年 6月 結婚
2000年 3月 長女出産
2003年 12月 次女出産--左心低形成症候群という心臓病の中でも更に重い病気を持って産まれる。
2004年 1月 次女他界--手術の甲斐なく一足早く空に還る。(次女についてのHPはコチラよりどうぞ↓)
http://members3.jcom.home.ne.jp/key-you-me/
人生でも大きな喪失感を受けた、子供を失うというこの出来事がスピリチュアルに目覚めるきっかけとなった。
しかし当時は天使になった娘を感じる余裕など無く、又、その術も知らず、ただ無常に巡って来る日々の中、
ひたすら「目の前に現れて!会話したい!夢に出てきて!」と毎日泣いて暮らす弱い人間だった。
2005年 1月 次女一周忌
周囲の方々に支えられ、何とか一年を過ごす。半年ほど前より、なぜか “一周忌は盛大に!” という思いが強くなり、日々その思いはつのっていった。パーティスタイルという異例の形式で一周忌を行うことが出来たが、まだまだ「死なせてしまったのは自分のせいだ・・」という思いからは抜け出せておらず、悲しみに暮れる被害者的意識は強かった。
2005年 10月 三女出産
長女・次女の為に、そして自分の為に・・と決意し妊娠出産したはずなのに、妊婦生活も、新たに降りてきてくれた赤ちゃんの命さえも真正面から受け入れられず、常に次女を思い返しては涙する日々にまた戻ってしまう。
2006年 1月 次女三回忌
その様な気持ちの中でも一周忌と同じスタイルで三回忌を行う決意をする。異例な事に一周忌の時よりもゲストの数が増え、定員以上の数になってしまった為、昼の部・夜の部というコチラも異例の二部制の三回忌となる。
2006年 9月 出会いとメッセージを頂く
mixi上で赤ちゃんとの対話=胎話ができるという方に会い、かねてからの「亡き娘と話したい!」という夢が叶う。頂いた天使(娘)からのメッセージは今までの考えを大きく変え、それと同時に大きな学び=癒しが起こる。人生の転換期と言っても過言ではない。この時期から本格的にスピリチュアルについての勉強が始まり、それに伴い、イメージやメッセージを天使達から受け取ることができるようになる。
現在
天に還った次女の法要を知る知人などから、他の方のパーティーなどをプロデュースして欲しいとの依頼を受けるようになる。天使の娘が体を張ってまで私に知らせなければならなかった事、そして人生をかけて学んで欲しいことを、自身が次女の法要をプロデュースする事で知る。今自分がSupiritual Event Pioneer(魂のイベント開拓師)としていられるのは、娘が“生と死”の本当の意味を自分の体と生き様を通して教えてくれたからです。そしてその天使の導きを借りながら現在も精進中の愉価癒花(ユカユカ) です。。